散り散り家族も野馬追に集結
福島原発ニュース
朝日新聞 2012年07月30日
http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000001207290005
●2日目「お行列」
復興の旗印とする相馬野馬追(のまおい)2日目の29日、旧相馬中村藩5郷がそろって、南相馬市原町区の雲雀ケ原祭場地まで「お行列」をした。出場する騎馬武者は例年に近い400騎余に回復したが、避難先から駆け付ける参加者も多い。
南相馬市小高区で暮らしていた梅田利彦さん(59)一家は、原発事故で避難指示区域になり、散り散りになった。だが、祭りを機に久しぶりに顔をそろえる。
利彦さんと母女子(つまこ)さん(81)は福島市、妻芳子さん(58)は南相馬市原町区で避難生活を送る。地元の乗馬クラブで働いていた長男邦彦さん(31)は馬を避難させた千葉県富里市に落ち着いた。次男雄大(かつひろ)さん(28)は知り合いを頼って茨城県坂東市に移り、そこで職を見つけた。家族バラバラの生活。故郷を離れた生活はだれも初めてだ。
梅田家は代々祭りに参加してきた。利彦さんは高校2年、邦彦さんは中学1年、雄大さんは高校2年から出場してきた。邦彦さんは初陣のとき、主行事のひとつ、甲冑(かっちゅう)競馬に出て最下位だった。「中学1年がんばれ、ってアナウンスされた」と照れながら、「野馬追は生活の一部」と故郷を思う。
22日、邦彦さんが働く富里市の乗馬クラブを雄大さんが訪ねた。乗馬の練習をするためだ。2年ぶりに騎乗した雄大さんは「翌日は筋肉痛で仕事がつらかった。でも、馬に揺られる感じが懐かしかった」。
28日朝、芳子さんが暮らす原町区のアパートに、夫婦と息子2人がそろった。正月以来だ。晴れの舞台「お行列」の29日は、父子3人が旗指し物を背に甲冑姿で馬上の武者に。利彦さんは「野馬追だから、といって帰ってきてくれるのがうれしい。自分が40年も続けてきたことを、息子たちが受け入れてくれた気がする」と満足そうだ。
息子2人は、祭りの華である甲冑競馬には出ない。1カ月近くかかる馬の調教ができないからだ。それでも故郷に戻ってきた。
邦彦さんは言う。「故郷を出たいと思ったことはなかった。小さい頃から世話になった野馬追の先輩や仲間がいたから。いつになるか分からないが、故郷に戻りたい」(佐々木達也)